ある日の会話。
あの~、
誰かが話しかける。
ん?
何だい?
欲しいものが手に入らない?
ふーん、そうなんだ。
思ったとおりに事が運ばない?
ふーん、そうなんだ。
誰かが悪口を言っている?
ふーん、そうなんだ。
約束を破られた?
ふーん、そうなんだ。
大切なものを傷つけられた?
ふーん、そうなんだ。
隣がうるさい?
ふーん、そうなんだ。
家の前にゴミが捨てられていた?
ふーん、そうなんだ。
夜中にゴミを燃やすやつがいる?
ふーん、そうなんだ。
ふーん、そうなんだ。
ふーん、そうなんだ。
話しかける方も、
聞いてる方も、
ぜんぶ自分。
ぜんぶ、頭ん中の会話。
思考は、
目についた事、
耳にした事、
カラダが感じた事など、
すべて、何か言わないと気が済まない。
あれこれ言って、答えを期待する。
期待どおりの答えなら少し気がおさまる。
期待外れの答えなら、
ますます会話が激しくなる。
思考はうるさい。
思考は常に話しかける。
よって、頭ん中が混乱する。
思考は、あなたを幸せにはしてくれない。
あなたが、悩んで苦しむ事を期待する。
なぜなら、
何の価値もない存在だという事を
思考は自覚したくないからだ。
少しでも、頭ん中を混乱させる事で、
自分の存在意義を証明したいのだ。
思考が何かを言ってきたら、
ただ、
ふーん、そうなんだ。
これでオーケー。
思考と会話しても、まったく無意味。
無意味どころか、頭が混乱する。
思考と、あまり仲良くしない事をおすすめする。